鴎友学園女子中学校 (東京都世田谷区) 学校探検
「あれもこれも」の鴎友学園ライフ

最寄り駅は東急世田谷線の「宮の坂」。東急世田谷線は全国でも今や数少なった路面電車で独特の風情がある。三軒茶屋から9分、下高井戸から7分、と、神奈川・三多摩方面からのアクセスも良い。
―府立一高女(現在の都立白鴎高校)の同窓会が設立されたのですね。

はい、昭和10年に本校は創立いたしましたが、府立一高女OGの方々に「自分たちが当時の校長、市川源三から受けた教育を、ぜひ娘にも受けさせたい」という熱意があり、寄付を募って、世田谷の地に開校したのが鴎友学園です。市川源三は、日本の女子教育のパイオニアなのですが、非常に先進的な考えを持っている人物でした。当時、良妻賢母教育が主流の中で、「女性である前にまず一人前の人間であれ」「社会の中で自分の能力を最大限発揮して活躍する女性であれ」と教えました。それが現在に至るまで、本校の教育方針として脈々と受け継がれています。

―ミッションではないですが、キリスト教に基づく教育をなさっていますね。

ミッション校というのは、伝道を主とした目的として設立された学校ですね。私どもは伝道そのものを目的としているわけではありませんから、いわゆるミッション系にはあたりません。本校の場合、市川源三が校長を勤めていたときに理事長職にあり、市川の後校長も勤めた石川志づが内村鑑三と津田梅子の弟子でした。その石川が、今から学校を作っていくというときに、何か一つ精神的に筋を通せるような心のよりどころが必要だと考えました。そしてキリスト教の教えを心の教育の柱として取り入れたのです。

―具体的にはどのようにキリスト教精神を教育に取り入れているのでしょう。

中学生では週に1時間聖書の時間があり、教会の牧師に授業をしていただいてます。高校生は高1の研修会で聖書を学びます。また、クリスマス会など行事の折りには祈祷を行い、賛美歌を歌います。聖書の教えを自分の生き方の一つの柱として、何か迷ったときに照らし合わせる指針にしてもらおう、そういう取り組みなんです。キリスト教には、自分と同じように他者を大切にしましょう、という教えがあるわけですが、このような考え方は、聖書の時間だけで学ぶわけではありません。例えば音楽の時間に賛美歌を通じてそれを学んだり、園芸の時間を通じて生命の大切さを理解させたりといった実践もしています。

鴎友学園の正門。警備員の方が常駐しており、セキュリティも万全。最寄り駅は世田谷線の「宮の坂」だが、小田急線の経堂からも10分以内。

―非常に緩やかな宗教教育ですね。

そうですね、毎日の礼拝があるわけではありませんから、そういう意味では緩やかですね。

―校訓の「慈愛と誠実と創造」について詳しく教えてください。

「慈愛」というのは、他者に対して自分がどれだけのことができるのか、他者を思いやる心のことです。「誠実」というのは、自分に対して誠実である、いろいろな言い訳をしないで、真心を込めて一生懸命に取り組み、自分を誠実に伸ばしていきましょうということです。そして、この「慈愛」と「誠実」の両面がきちんと育つと、社会に貢献できる、社会に羽ばたき創造的に生きていける人間になれる。この3つをどれも等分に大切にしましょう、というのが、校訓の「慈愛と誠実と創造」です。
「慈愛」は学校の中では社会性の獲得として学んでいきます。具体的には、ホームルームやクラブ活動、さまざまな校外活動を一生懸命することによって社会性を身につけていくことですね。「誠実」についていえば、これは日々の学業の中で学んでいきます。自分が本当に誠実に自分と向き合って努力をする。その中で自ら生きる力や独自性が育っていきます。この二つがきちんと育つと、社会に貢献し、豊かに生きるに力を身につけた人間になることが出来る。これが「創造性」の獲得です。

校舎の裏側に広がる園芸用の農園(実習園)。週2時間の授業(中1生)の中で花や野菜を育てる。普通科の都会の学校で全員に土いじりを必修で課している学校はめずらしい。

―「あれもこれも」という言葉は普通は悪い意味で使いますが、御校では良い意味でこの言葉を使われていますね。これは、「鴎友は勉強だけの学校ではない」というメッセージと理解していいのでしょうか。

その通りです。充実した学校生活も過ごした上できちんとした大学合格実績も出す。これはけっして贅沢な望みではないと思うのです。十代の大切な思春期の6年間を過ごすわけですから、無味乾燥な勉強のみの日々ではなく、好きなことに打ち込んで充実した学校生活を送りたい。そしてその上で自分の望む進路に巣立って生きたい。これは誰もが思うことではないでしょうか。
20年前、本校は学校改革に着手しました。当時は、社会全体の流れとして、「私立学校が伸びてゆくには一生懸命勉強させて大学合格実績を上げるのが良い」という考え方が一般的でした。それはある面においては大切なことですが、当時の校長である伊藤進は「理念を見失って合格実績のみを追うと、鴎友の良さは失われてしまう。そうではなく、学校が本来やるべきことを全力を尽くしてやろう。そうすれば必ず合格実績も上がっていく。回り道のようだけれど、鴎友がこれまでやってきた良い教育を大切にし、それを発信していこう」と考えたんですね。今、本校は確かにそれなりの大学合格実績を出すようになったのですが、それは6年間の学校生活全体の成果です。生徒は、われわれ大人が思っているよりもずっと大きなエネルギーを持っていますし、「あれもこれも」頑張ることによって、自分に自身を持つことができます。ですから、我々教員も「両立は大変だ」というような予断は持たないようにしています。そのような考えを持つこと自体、枠に縛られてしまいますから。
合格実績と言うのは、ただそれだけを伸ばそう、数字だけを上げようとしても伸びていかないものなのです。

―「知性と感性」「精神性と身体性」のバランスが大切だと。

これも、やはり「あれもこれも」なのですが、知性を伸ばすためには感性が豊かでないと伸びません。また、勉強というものは身体も使うことによってより一層伸びていきます。ですから当校では、受験学年の高校3年生まで体育や音楽の授業が必修です。では、みなそれを面倒くさいと考えたり、いやいややっているかというとまったく逆で、必修の体育や音楽を楽しんで一生懸命やっています。そしてそれらを一生懸命やることで次の数学や理科や英語に集中できる。要は、メリハリが大切なのだと思います。

―「××してはいけません」ではなく「××していいよ」という教育をされていますね。

はい、「まず肯定から始めよう」というのが我々教員の間の合言葉です。
これは教員の意識を改革しないといけません。もちろん「していいよ」と言い放しではなく、「何々していいですよ。でもそのためにはどうすればいいか、それはしっかり考えなさい」ということです。だめと言ってしまうのはすごく楽ですよね。言う方も言われた方もそれ以上考えなくてすみますから。「何々してもいいよ」と言われると、生徒は自分の頭でしっかり考えなくてはいけません。考えさせるためには、周囲も根気と時間が必要ですし、教員もきちんとそばについて、見守ってあげることが大切です。

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