サレジオ学院 (横浜市都筑区) 学校探検
25歳の男づくり

「教師と生徒、教師と父母の間の距離の近い学校」が特色であるサレジオ学院。「社会から受けた利益は社会に還元すべき」「社会に貢献できる人間に育って欲しい」という考えの下で行われている教育は不安定な社会の中、高く評価されている。
―まず、校名の由来からお聞かせ下さい。「サレジオ」という校名は修道会の「サレジオ会」から来ているそうですね。

ええ、「サレジオ会」というは「イエズス会」同様にカトリック教会の修道会です。ヨハネ・ボスコ―我々はドン・ボスコと呼んでいますが―によって結成されました。全世界に100カ国以上、1600以上の教育事業体を持ち青少年教育活動を行っています。「青少年のみを対象とする」という特色を持っています。国内ではさほど有名ではありませんが、世界的には「サレジオ」というとすぐに「ああ、あの…」というくらいのネームバリューがあります。

―開校は1960年ですね。

はい、当初は目黒区碑文谷、今でもサレジオ教会がありますが、その地に開校をしました。1975年に川崎市の鷺沼に移転。鷺沼時代が20年間と長かったんですが、1995年に今の都筑の地に移転しました。

―宗教はどのようにカリキュラムに取り入れていますか。

中1で週に2コマ、中2・中3は週1コマ、「宗教」の時間があります。高校は「倫理」の科目の中で宗教的な内容を取り入れています。中1の1コマは旧約聖書を取り上げます。2年間で旧約聖書が終わったら新約聖書に進みます。中1時のもう1コマは校長自らが教壇に立ち、ドン・ボスコの生い立ちや考え方、あるいはマザーテレサの話などを中心に進めていきます。

―生徒の中で、クリスチャンの割合はどれくらいですか。

ミサや感謝祭、慰霊祭のときに信者の生徒にパンを渡すんですね。その時に前に出て行くので分かるのですが、学年で10名いるかいないか、です。当校は男子のミッション系の中ではクリスチャンの割合が高いほう、と言われているのですが、それでもその程度ですね。ただ、神父を目指す「志願院生」と呼ばれる生徒がいるのは当校の大きな特色です。

―「今まで特に積極的にキリスト教と関わって来なかったのだが、サレジオ学院に入学して大丈夫だろうか」という不安感をご父母から聞くことも多いのですが。

大丈夫ですよ。入るときも入った後も、クリスチャンかどうかは有利にも不利にもなりません。キリスト教教育といっても、教材として聖書は使うものの、中身は「人としてどう生きるべきか」、聖書に出てくる話をきっかけにして、今の世の中で自分はどう行動すべきかを考えてもらおう、という、広義の「道徳」の授業です。ただ、そうは行ってもキリスト教精神に基づいて運営される学校ですし、キリスト教精神こそ当校の幹(みき)です。最初からそれを受容しようという気持ちに欠けるのでは困りますが。

正門近くに立つマリア様像。像の下の台座には「共に学ぶ若者たちを見守ってください」という言葉が刻まれている。

―わが国では大阪星光・日向学院が兄弟校ですね。

普通科としてはその二校が兄弟校です。それ以外に同じサレジオ会が運営する学校としてサレジオ高専、また小平のサレジオ中学校、目黒星美や赤羽の星美学園があります。

―上記の二校の兄弟校との交流はどの程度ありますか?

神父さんの異動などはありますが、生徒同士・教員同士の交流は距離が遠いこともあり、交流というほどの交流はなかなか難しいのが現状です。

―「25歳の男づくり」という言葉を使われていますが、この言葉の意味を教えてくださいますか。

この「25歳の男づくり」の言葉を初めて用いたのは前学校長なのですが、高校から大学に進み、そして大学を卒業して数年なった25歳頃に社会に恩返しというか、貢献ができるような人物に育って欲しいという意味を込めました。そして中学高校の6年間はその下地作りである、ということですね。

―大学入試がゴールではなく、ゴールテープはもっと先にある、ということですね。

そうですね。やはり人は、社会に対して、自分が受けてきたもの・授かったものを還元していかないとならないと思います。それが25歳くらいから可能になっていく、ということです。

―「周りで苦しんでいる人たちを助けるために、周りの人を幸福にするために、必死に学びなさい」ともおっしゃっているそうですね。

人間はそもそも一人では生きられません。周りの人々に支えられながら、そして周りの人を支えて生きている。先ほど「還元」という考え方にもつながっていきますが、自分が出世したいから、自分だけが豊かになりたいから学ぶのではない。周囲のため、社会のために学びなさい。それがひいては自分のためにもなっていく、そういう考え方です。
私たちは、そのために大切にするものとして「四つのH」を挙げています。ひとつは「Heart」。これは文字通り「心」であり「心構え」です。次に「Head」。気持ちだけがあっても、それを実現するための能力がないといけません。そして「Hand」。これは「手段」ということですね。目的達成のために的確な方法・手段が必要です。そして最後に「Human Relation」。いろいろな人と協力する人間関係。この「四つのH」を常に頭の片隅において生きよう、と。

玄関を入るとドン・ボスコのレリーフが飾られている。ドン・ボスコ(ヨハネ・ボスコ)は1815年に生を受けて大きな足跡を残した北イタリアのカトリック司祭、教育者でサレジオ会、扶助者聖母会の創立者である。

―現校長先生がおっしゃっている「存在の教育」についてお聞かせ下さい。

一言で言えば、「人の存在の尊さ」ということです。それが一番集約されているのは「命」なわけですけど、「命」を含めた「存在」を大切にしよう。それが「他者への尊敬」にもつながっていきます。

―コミュニケーションルームというのがあるそうですね。

はい。入学してなかなか友達ができない生徒もいます。あるいは学校生活の中で孤独感を感じる場面もあるでしょう。そんなときのためにこのコミュニケーションルームを開放しているんですね。神父さんを中心として、そこに行けば必ず向かい合って相手をしてくれる人がいる。君は一人ではないんだよ、というメッセージです。これがいまや非常に隆盛といいますか、人気でしてね。休み時間などは訪れる生徒諸君で廊下まではみ出るような勢いです。中3と中1が一緒になってボードゲームに講じたり。

―「アシステンツァ」という言葉についてご説明いただけますか?

「共にいる」という意味のイタリア語ですが、我々教師が生徒のすぐそばにいて、いつでも相談に乗れるような状態をさしています。生徒たちが気楽にコミュニケーションを取れるような体制を作っていく、ということですね。それが先ほどのコミュニケーションルームにつながっていきます。
中には「過保護ではないか」と言う方もいますが、我々はそう捉えていません。自転車で言えば両脇についている補助輪がありますね、あの補助輪ではないんです。そうではなく、子供が自転車を漕いでいる、その時にそっと荷台を押さえてあげる。そんなイメージです。「押さえててあげるから大丈夫だよ。だから前に進んでごらん」という。そして、状態を見ながら少しずつ手を離していく。その体制が「アシステンツァ」です。

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